英気に溢れる -Be filled with brilliance-

鹿児島で学習支援業を行なっているBRILLIANTが、子どもと教育、心と身体に関するエッセイ、日々の雑想をお届けします。

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ちょっとだけ攻める

私は大学3回生の時に、1年かけて免許を取りました。

何回か行っては1、2ヶ月休みを繰り返していたのです。

教習原簿(教習の進度が記録されているもの)は

生徒の入学時期毎に分けられて、棚に収められているのですが、

私の教習原簿は、卒業する頃には、最後尾まで追いやられて

いました。


短期集中で免許を取った方が確かに効率的で気も楽でしょう。

しかし、1年かけて免許を取るメリットもあったのです。

それは、卒業時すでに「運転の怖さに慣れていた」ことでした。


しばらく間を空けて教習車に乗る時は、

連続して乗っている時よりも、格段に緊張が大きいのです。

車道に出るのもかなり怖い。


ですが、その緊張と恐怖を1年の間に何度も味わってきましたから、

免許を取った後、ひとりで車道に出る時に、

過剰な恐怖感を味わわずに済んだんです。


また、1年かけて運転の復習を繰り返ししたわけですから

運転技術や交通知識がある程度身体に染み付き、

ちょっとやそっとでは忘れないようになっていました。


逆に短期間で学習したものは、復習をしないとすぐに忘れて

しまいます。

短期集中で免許を取った後、大きく間が空いてしまったとしたら、

運転技術も知識もすぐに忘れ、緊張感や恐怖感も半端ではなくて、

ひとりで運転をする勇気はなかなか湧かなかっただろうと思います。

(俗に言うペーパードライバーへの道まっしぐらですね・・・)


時間をかけて学ぶことにも大きなメリットはあるのです。


私はもうひとつ教習所で学んだことがあります。

それは、指導教官は多分絶対に口に出せないことだと思うのですが

「自動車は勇気をもって、ちょっと攻める走りをした方が

 安全に、上手く波に乗って走れる」ということです。


「ちょっと攻める」というのは、心持ちスピードを上げて、前へ出る

ということです。


私は教習所時代、初めて公道に出た時、あまりにもオドオドしていて

車線変更も、車の流れに乗ることもうまくできず

教官に怒られていたのです。


ですが、そのままでは悔しかったので、色々思案した結果、

勇気を持って、「ちょっとだけ攻める」走りを試してみたところ、

割とスムーズに運転ができ、教官にほめられたのです。



教習所でも、免許を取ってからでも、もちろん法定速度は守らない

といけません。

しかし、実際の車道では、おおよそ、法定速度+5~10km/時で

車は流れていくようです。(これは私の経験に基づく推測なので、

公式なデータに基づくものではありません。あしからず。

運転される方なら、この感覚がお分かりになられるのではないでしょうか)



法定速度を超えないように、超えないようにということばかりに

気をつかっていると、後ろに車の渋滞ができて、後方車両から

プレッシャーをかけられることもあります。

また車線変更では時に少しスピードを速めたり、減速したりする

臨機応変さも必要です。

車の流れに乗るためには、法定速度や交通規則に留意しつつ、

「ちょっとだけ攻める」感覚を持ち合わせていないと、

うまくいかないのです。


教習所での経験以来、

「ちょっとだけ攻める」は人生の真理かもしれないなあ

と思うようになりました。


学業であれば、宿題に追われるのではなく、ちょっとだけ先取りをして

余裕をもつ、ということ。

仕事であれば、ちょっとだけ先手を打って行動をする、ということです。

(これが先回りしすぎると、空回りにつながったりするんですね。)


前に傾きすぎるわけでも、後ろに傾きすぎるわけでもなく

ちょっとだけ前向きな姿勢をとる。

この感覚を保っている時、学習も仕事もうまく波に乗れるような

気がするのです。
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ジャンル : 心と身体
テーマ : 心と身体

[ 2010/07/18 04:20 ] 私の学び | TB(0) | CM(2)
No title
「ちょっと攻める」感覚、わかります。
まさに運転してる時は、「ちょっと攻める」でないと、
ほんとに周りの車が怖く感じてしまいます。

僕の中では、
この「ちょっと攻める」感覚が少し懐かしくもあって、
なんで懐かしいんだろうって思い返してみると、
それは小学校時代の体験に理由があるようです。

僕が小学生のころ、サッカーをやる機会があると、
GKというのはたいがい「背の高い奴」ってのが定番で、
みんな決まってFWをやりたがっていました。笑。
そのため、背が高かった僕はほぼ毎回のようにGK…。
GKというのは基本守りなんですが、
ずっとゴールにへばりついていればそれでいいのかというと、
そういうわけでもありません。
ゴールを守ろうとして、その前にへばりついているだけだと、
いざという時に動けなかったりします。
やはり、相手の動作を見ながら(危険だと分かりながらも)
左右へ俊敏に動いたり、
場合によっては向かってくる選手に体当たり的にpressureを
かけないといけません。
でも、前に出すぎると、かえって、危険度が上がって、
失点につながってしまう…。
あの頃は「どこまでやったらええねん!」っていう葛藤というか、
居心地の悪さがあって、GKがすごく嫌でしたね。笑。

僕の中の「ちょっと攻める」感覚の根っこはこの辺にありそうです。
実は恋なんかも、「ちょっと攻める」が大事そうな気がします。
↑恋をしてないので大きい声では言えませんが…笑。
攻めすぎると、空回りしたり、「重」かったりしますよね。

「程よく」前にでる感覚。
僕もその絶好ポイントを探しています。
[ 2010/07/19 10:28 ] [ 編集 ]
Re:No title
みねくん

ゴールキーパーだったんですか!
(小さい時から背が高かったんですね!)
たしかに、GKってサッカーのポジションの中で
一番決断力を要求されそうですね。

また、みねくんのおっしゃるように、
常に俊敏に動ける構えをしていなければならない・・・
動き回ってプレイできるなら、
その動きの中で俊敏さも出しやすいでしょうが、
基本的に「静」の状態でとっさに動くとなると
意識的に心身を温めつづける集中力も必要ですよね。

さらに、どんなにファインセーブを連発しても
失点をして負ければ、評価ががた落ちですし・・・
損な役回りというか、なかなか栄光に浴すことができない
極めて「タフ」な仕事ですねえ。

でもなんか、みねくん、やっぱりGKの才能がある気がします(笑)
(嫌かもしれませんが・・・ごめんね)
全体を見渡せる視野の広さ、情勢を分析する力、
遠くにポーンと蹴り上げるような飛距離のある問題意識・・・等々。
GKに必要な才能を持ってる気がするんです。


恋愛に関しては、僕もそんな風に思います。
ちょっとだけ飛び込んでみる勇気、というか
今回のW杯で散々耳にしたフレーズですが
「リスクをおかしてでも、縦パスを送る勇気」といいますか。

でも、それは決して無謀な攻撃をすることではなくて
常に、攻めと守り、リターンとリスクの間での
葛藤を抱えての、勇気ある「決断」であって。

その葛藤を抱えるってことが、
恋愛をより奥ゆかしいものに彩る気がします。
[ 2010/07/20 02:12 ] [ 編集 ]
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