英気に溢れる -Be filled with brilliance-

鹿児島で学習支援業を行なっているBRILLIANTが、子どもと教育、心と身体に関するエッセイ、日々の雑想をお届けします。

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ちゃんと悲しめることの有り難さ

3月11日、午後3時、私は鹿児島発、羽田行きの飛行機に搭乗した直後でした。

今年度の受験が終了したこともあり、3月11日から10日ほどのお休みを頂いて、

海外に行く予定でした。


飛行機の座席に座ると、東京で会うことになっていた友人から、

「地震があったけど、飛行機大丈夫??」

というメールが届きました。


鹿児島が全然揺れなかったことも手伝って、

私はその時は、事態をさほど深刻には受け止めてはいませんでした。


しばらくして、フライト・アテンダントさんからアナウンスがありました。

「東北地方を震源とする震度7の地震が起こりました。

東京でも震度5を記録し、現在、羽田は全面的に離着陸を見合わせております。

当機もこのまま待機要請が出されております。」


機内の人々の顔色が変わり始めました。

震度「7」。


事態を悟った機内の人々は、ボーディングブリッジ(飛行機と空港を結ぶ廊下)

に移動し、携帯で仕事先や家族に電話をし始めました。

ご家族の安否が分からず、泣き始めた女性の方も、何人もいらっしゃいました。


心の中に、徐々に暗い雲が立ち込めていきます。


機内に1時間ほど待機させられた後、飛行機を降ろされ、空港ロビーの待合室に

移った私は、そこで初めて、この地震のすさまじさを目の当たりにします。

テレビ画面には、数百台の自動車が、まるでおもちゃのように、

津波に飲み込まれていく映像が流れていました。

この世の終わりのような気がしました。


私にとっては、今回の旅は、初めての海外旅行で、

2年前からひとつの目標にして準備を進めてきたことだったんです。

旅程やホテルの予約など、自分で手配を進めてきていましたし、

飛行機に載る直前までは、とてもワクワクしていました。

それが一転、一時間後には、

日本が終わるのではないかというような光景を目の当たりにし、

すべての喜びや希望がガラガラと音を立てて崩れていくような気がしました。


結局、当日の羽田行きの便は全て欠航となり、

やむを得ず自宅に帰った私は、テレビを複雑な心境で見つめていました。

不謹慎な発言を許して欲しいのですが、

完全に交通が麻痺した東京の様子を見て、

「もし、一便早い飛行機に乗っていたら、羽田で立往生をし、

まったく身動きが取れなかったかもしれない。不幸中の幸いだった・・・」

という思いと、

「せっかく、2年かけて準備してきた旅行を、今回は断念しなければならない

のか・・・」という思いが混在していたのです。


守られたなあという思いと、残念だなあという思いと、

これから日本はどうなっていくんだろうという不安で、

心はかき混ぜられていました。



それから数日は、旅行のキャンセル手続きのやり取りをしながら、

現実感のないふわふわした気持ちで、震災報道をずっーと眺めていました。


10日ほど休みを取ったけど、この10日をどうやって過ごしていけばよいものか・・・

被災しなかった自分は何ができるのか・・・

前向きな思考もまったく浮かばず、

ただただ、自分の心も震災に浸食されていくようでした。


しかし私はその後、今回海外に行くのではなく、日本に残らされたことに

ある種の「天の導き」のようなものを感じずにはいられませんでした。


3月17日に祖父が亡くなったんです。


祖父は、15日に胃のポリープ切除の簡単な手術をしたのですが、

その直前までは比較的元気で、まさか数日のうちに

天に召されてしまうなんて思いも寄りませんでした・・・。


もし、今回私が海外に行っていたら、祖父とのお別れにも間に合わず、

葬儀にも出席できなかったかもしれず、一生後悔したかもしれません。

お休みを前もって10日も取っていたために、

祖父の胃のポリープ手術にも付き添ってあげられたし、

次の日、祖父が苦しくなって、意識不明になった時も手を握ってあげられたし、

天に召される時も、そばにいてあげられたし、

仕事のことをとりあえず心の脇に置いて、

ずっと祖父に気持ちを向けてあげられたことは奇跡的なことでした。


通夜の日に、ひとりで椅子に腰掛け、

祖父がにこやかに微笑んでいる遺影を見ていたら、

それまで気を張っていたためか、あまり涙はこぼれなかったのに、

祖父の思い出と共に、堰を切ったように涙が溢れてきました。


ひとしきり泣いた後、家族を失った東北の被災者の方達の事が頭を過ぎりました。

遺体が見つからなかったり、見つかったとしても、

ちゃんと葬儀をしてあげることもできずに、

そのまま埋葬しなければならない現状をニュースで知っていました。


「僕はちゃんと悲しんで、ちゃんとお別れをすることができるから、

心を整理することができるけれど、

被災者の方達は、家族や友人の死をちゃんと悲しむことすらできないんだ・・・

ちゃんとお別れをすることすら許されないんだ・・・」


愛する人と、ちゃんと別れることができない、見送ることができない

ということが、どれほど辛いものなのか・・・

ただでさえ、愛する人の命が突然に奪われてしまうのは、

耐えがたく悲しいはずなのに・・・


私はその時、生まれて初めて、

「ちゃんと悲しめることの有り難さ」を知りました。

ちゃんと悲しむことができて、前に進むことができるんですね・・・。


2年前に、先に祖母が亡くなっているんですが、

今回私を鹿児島に残してくれたのは、天国の祖母だったのかもしれないと

不思議とそう感じました・・・。


2011年3月11日から10日余りの出来事を、

私は多分、生涯忘れないでしょう。


明日から、4月1日。新年度が始まります。

3月は現実感のない日々を過ごしていましたが、地に足をつけて、

自分にできる仕事を、しっかりと進めていきたいと思います。

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ジャンル : 心と身体
テーマ : 「生きている」ということ

[ 2011/03/31 13:43 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(4)

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