英気に溢れる -Be filled with brilliance-

鹿児島で学習支援業を行なっているBRILLIANTが、子どもと教育、心と身体に関するエッセイ、日々の雑想をお届けします。

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One child, one teacher

1人の子ども

1人の教師

1冊の本

そして、1本のペン

それで世界を変えられます

ーマララ・ユスフザイ


マララさんの演説の映像を見て、その言葉の力強さ、信念の尊さに目頭が熱くなりました。

教育に携わる者として、胸を打たれました。

そして、勇気をもらいました。

私も1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして、1本のベンの力を信じます。



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[ 2014/10/14 23:17 ] 子どもと教育 | TB(0) | CM(2)

幸せな忘年会 【再掲載】

【以下の文章は、2011年12月31日に更新したブログ記事になります。昨日更新した「熟成のためにこそ、寝かせておく」に登場した生徒との3年後の物語です】


12月29日の夜のことです。

前日に今年の授業をすべて終えた私は、教室の掃除と新年の準備をしていました。


作業をしながら、私の頭の中には、「今年一年、自分がやってきたことは、これでよかったのか?」という問いがこだましていました。

特に「自分がやってきた授業は本当にこれでよかったのか?」という問いが心の中を駆け回り、課題や反省点ばかりが浮上して、気持ちが重くなっていました。


成果がすぐに現れる生徒さん、順調に伸びていっている生徒さんはいいのですが、成果が現れるのに時間がかかっている生徒さんもいます。

教室に来始めてすぐに大きく伸びたけれど、途中でスランプに陥り、そこからまた多くのことを学び、よりたくましくなって、再び上昇傾向に入った生徒さんもいます。

「これまでの自分は、分からないところがあればすぐに先生に聞けばいいと思って、先生に甘えてばかりでした。

自分で考えて、自分で勉強しなければ、駄目なんだということに気づかされました。

私は自分の力だけで、できるところまでやってみたいです」

という大きな決意を持って、休室された生徒さんもいます。


色々な生徒さんとの物語を振り返るうちに、その日の私は、一体何が教育の「成果」なのか、良く分からなくなっていきました。



お腹も減ってきたので、外で何か食べようと思い、私は教室を出て、中央駅の方へ歩き出しました。

西田の街は、忘年会へ繰り出そうとしているサラリーマンの方々や学生さんで賑わっていました。

「ここでご飯を食べようかな?いや、何か気が乗らないな。ここにしようかな?いや、やめよう」と、食べる場所をなかなか決め切らない私は、自然に中央駅の中へと吸い込まれていきました。


駅の構内は、新幹線から降りてきた帰省客とキャリーバッグでごった返しています。

「ああ、年の瀬なんだなあ…」とぼんやり思いながら、ふらふらと構内を歩いていたら、突然後ろから呼び止められました。


「あのすみません、西野先生…ですよね?」

私を呼び止めた声の持ち主は、3年前に加治木で教えていた時の教え子でした。

「覚えていらっしゃいますか…?」

「おお○○くん!もちろん覚えているよ。ついこの間も○○くんはどうしているかなあ、と思っていたところだったよ!」

その日、私はずっと大きなマスクを着けていたのですが、それにも関わらず、彼はよく私だと分かったなあ、よく声をかける勇気を出してくれたなあ、と思い、とても嬉しくなりました。

「先生、僕は、就職も決まったんですよ!」

「そうか、それはおめでとう!本当に良かったね!」


たくさん話したいことがある様子に見えたので、私は彼をご飯に誘いました。



彼は、中学生の時、学校にはほとんど通っていませんでした。

学校に行きたくてもなかなか行けない状態で、受験の直前に、できることならなんとか進学をしたい、そのためにできる限りの準備をして試験に臨みたい、ということで、以前一度だけ体験授業に来たことがあった私の教室に再び足を運んでくれたのでした。

教えていたのは、ほんの二ヶ月あまりだったでしょうか。

でも彼は、その二ヶ月間、彼なりに本当に一生懸命勉強をしました。

そして、鹿児島市内の、ある私立の高校に合格することができました。

卒業後、彼はどんな高校生活を送っていることだろうか、うまく行っているかなあと、私もずっと気にかけていました。

久しぶりに会った彼は、なんというか、身体の芯に太いものが通っていて、溌剌としていて、それでいて深いまなざしを持っていました。

高校生活は非常に充実していたようで、勉強だけでなく、様々な人間関係の中で自分を深めていたようでした。

就職先は、県内にある介護施設だということで、物事を深く洞察でき、気配りができて、心根の優しい、彼ならではの選択だなあと、心を打たれました。

そんな彼が、一緒にラーメンをすすっている間に、私の本質に迫る質問をどんどん投げかけてきました。

「先生はなぜこの仕事をやっておられるのですか?」

ぎくっとしました。彼は続けます。

「学校や大きな塾の先生と違って、ひとつの教え方ではなく、ひとりひとりの生徒に合わせて教えなければならない塾の先生は大変ではないですか?」

私は、言葉を失います。

「実は、僕も後輩に勉強を教えたことがあって、教材に書いてある通りに教えた方がいいのか、自分のオリジナルの解き方を教えた方がいいのか、悩んだことがあるんです。

自分のオリジナルの解き方を教える方が手っ取り早いのですが、後輩に丁寧に教えた後に『じゃあやってみて』と言うと、『え、どうするんでしたっけ』と言うんです。

自分の頭と同じタイプの人に教える時はいいのですが、違うタイプの人に教える時は大変ですよね…。

飲み込みがいい人だといいんだけどなあ…」


私は、苦笑と感嘆の入り混じった気持ちになりました。

それは、私が3年前、君を含む生徒たちに教えるときに感じていた苦悩だったんだよという苦笑と、でもよく高校3年生で、ここまで「教えるということの本質」に気づけたなあ、という感嘆です。


さらに彼は、

「それから、僕の従兄弟が今度受験なんですけど、勉強を教えてほしいということで、先生が僕に勧めて下さった教材を使ったんですよ。あれは分かりやすいですよね。」

という話もしてくれました。

当時はたった二ヶ月で、一体どれだけのものを彼に残してあげられるだろうかと、もやもやとした思いを抱えたまま授業をしていたのですが、私のやったことは確かに彼に残っていて、彼がそれを下の世代に伝えようとしてくれたことを、心から嬉しく思いました。


彼の高校生活の様々な物語を聞いた後、私達はラーメン屋を出て、再び中央駅に向かいました。

歩きながら、彼が、ぽつりと言いました。

「久しぶりに、先生の、あの、のんびりした塾に戻りたいなあ」

「僕の塾はのんびりしていたね?」

「いや、失礼な言い方かもしれないですけど、なんか『楽』だったんですよね。

実は、僕は大手の塾にも体験授業に行ったことがあって、でも、スピードは速いし、何を言っているのか全然理解できなかったんですよ。

でも、先生は、ひとりひとりに、ゆっくりと丁寧に教えてくれて。

僕は勉強が嫌いだったのですが、先生の塾に通って、『分かってみれば、勉強は面白いもんだなあ…』と思ったんです。

いま、僕がこうしていられるのも、あの時に、勉強をやってみようと思えたからかもしれません。」


私は彼の言葉を聞きながら、私の心の中に渦巻いていた「自分のやってきたことは、ほんとうにこれでよかったのか?」という問いの答えが返ってきたような気がしました。


「先生、今日は僕ばかりがしゃべってしまったような気がしますが、先生と話せて、心の何かが溶けたというか、心の紐がほどけたような気がしました。」

中央駅の長いエスカレータを下りながら、彼がどこか遠いところを見つめて言いました。

「僕も、君と今日会えて、ものすごく元気をもらえたよ。声をかけてくれて、本当にありがとう。」

「先生、今日気づいたのですが、出会いってすごいものですね。」

私は、自分の原点を再確認するような気持ちで、彼に言いました。

「君が、さっき『先生はなぜこの仕事をやっておられるのですか?』と聞いたけど、

それは、君のような素晴らしい生徒との出会いがあるからだよ。」


彼は「自分が帰る電車は何本でもありますから」と言って、私が乗るバス停まで見送ってくれました。


「僕はいままで、お父さんや、お母さん、おばあちゃん、そして先生に求めてばかりでした。

これからは求めるのではなく、求められる人間になりたいです。」

と力強く言ってくれた彼の顔は、もはや高校生でなく、ひとりの男の顔でした。

こういう男が、鹿児島の介護の現場で働いてくれるということは、本当に頼もしく、有り難いことだなあと思いました。


酒が飲める年になったら、飲もうねと約束をして私達は別れました。



私はひとりで教室をやっていますから、忘年会をできる上司も同僚も部下もいません。

だから、このような思いがけない形で、大きく成長した教え子と、素晴らしい忘年会をさせてもらえたことを、天に感謝するばかりでした。

私がこれまでやってきたことは、間違ってはいない、と言ってもらえたようでした。


私は、昔も今も、素晴らしい生徒さん達と保護者の方々に恵まれているなあと心から思います。

これまでも、私が迷っている時は、生徒の皆さんや、保護者の皆さまのエールに支えられて、導かれてきたように思います。

生徒の皆さん、保護者の皆さま、そして、このブログを読んで下さっている皆さま、今年1年、有形無形を問わず、私にたくさんの贈り物をくださって、本当にありがとうございました。(ブログの感想や拍手を頂けるのもそのひとつです。)


来年は、私からも、もっともっと、たくさんの贈り物ができるように、精進していきたいと思います!

それでは、皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
[ 2014/09/19 17:06 ] 子どもと教育 | TB(0) | CM(0)

熟成のためにこそ、寝かせておく

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】

彼は、9ヶ月前に一度私の教室に体験学習を受けに来ていました。

彼は、中1の2学期以降、学校に(行きたくても)なかなか行けない状態で、それが中2の終わりまで続いていました。

学校に再び通いたいが、授業に着いていけるか心配だったため、友人から聞いた、私の教室へと足を運んでくれたのです。

私の教室に本人は良い印象を抱いてくれていたようなのですが、お父様の「塾へ通うよりも、まずは学校に続けて行く訓練を優先すべきだ。」との御判断から、継続受講の運びにはなりませんでした。


心の隅でずっと気にかけていたのですが、ある日、お母様から突然のお電話がありました。

「あれ以来、やはり学校に行ったり行かなかったりの日々が続いていました。

この前三者面談があり、進学の話になりまして、本人は、『できることなら進学したい・・・。そのために僕は勉強したい。他の塾は多分合わないだろうけど先生の塾ならできそうだ。』と申しまして、親としても、せっかく出てきた息子の勉強したいという気持ちをなんとか押し出してあげたいという思いから、ご相談の御電話をした次第です。」

中3の受験の押し迫っている時期。

今から合格のための学習計画を組むのは極めて難しい。

しかし、その子の勉強をしたい、という思いには応えてあげたい。

その点をお母様にお話した上で、とにかく本人に会って、話を聞かなければ始まらないと考え、会う約束をしたのでした。


久しぶりに会った彼は、意外に明るい顔で、私の問いかけに対して、言葉を選びながら、しっかりと自分の考えを告げてくれました。

進学先に対しては、「一番行きたいのは 私立のスポーツトレーナー科なんです。

理由は、自分は野球などのスポーツが元々好きだし、お父さんやお母さんにマッサージをしてあげるのもとても楽しいし、ふたつを同時にやることができるからです。

でも、私立でお金もかかるし、家族にはなかなか言えなくて・・・」と答えてくれました。

横で聞いていたお母様は、目を丸くして、「初めてこの子からそんな話を聞きました。そこまで考えていたんですね・・・。 家では、私や主人がこの子より先に口を出してしまって、そうすると、この子は黙ってしまうんです・・・ 主人も疲れていたりする時は、もし私立にやって、また学校に行けなくなったらお金の無駄だと言ったりしますし・・・でも、今のように主人に話せたら、理解してくれるんじゃないかしら・・・」とおっしゃっいました。

その後、学校になかなか行けなくなってしまったきっかけや、友人とのエピソードなど、お母様が初めて聞くような話がポンポン飛び出し、時折、お母様は目頭を熱くされているようでした。


「きっとこの子は、会っていなかったこの9ヶ月、自分を冷静に見つめ、たくさんのことを考えてきたのだろうな」と私は思いました。

さらに、私が強く心を動かされた彼の極め付けの発言は、「どうして勉強をしようと思ったの?」という問いに対しての答えでした。

「12月から学校に行ってみて、やっぱり授業は全然分からなかった。

ある先生が、『勉強』とは『強いる』ものとおっしゃった。

受験勉強は強いるものだと思う。

でも僕は基礎の基礎が分かっていません。

『勉強』ではなくて・・・『学習』・・・。

僕は僕に手の届くぐらいの基礎の基礎を『学習』して、できるだけ準備をして受験してみたいんです。

お姉ちゃんも塾に通っていたけど、そこも多分『勉強』だろうし、他の塾も僕には難しいと思います。

でも、先生の塾なら『学習』できると思ったんです。僕は基礎の基礎を学習したいです。」


中学3年生がここまで、言葉の本質を捉えて、自分の考えと指針を述べられるものなのでしょうか。

私は心の中で感嘆しました。

彼は私の教室が柱としていることを、たった一回の体験学習で感じ取り、この9ヶ月、心のどこかで温めてくれていたのです。

本当に嬉しい言葉でした。

「この子は大丈夫だ。私にできることは、彼の意志を見守り、ただ添っていくだけだ。」

そう確信して、彼と握手をし、残り数ヶ月、共に「学習」していくことを誓いました。

その他の話でも、彼は慎重に言葉を選んでいました。

彼は決して、頭が良い/悪いとか、成績とかいう言葉を使わず、「学力」という言葉を使いました。

彼は学習指導要領の教科知識は、その時はほとんどなかったかもしれません。

でも、本質を捉える知性をしっかりと育んでいたのです。


人は、余りにも忙しい時には、日々の雑務に追われ、物を考えたり感じたりする余裕もなく、目の前のことをこなすことに時間を費やします。

確かに、このような忙しさの中で何とかやっていくことも、人の成長の過程においては大切なことだと思います。

しかし、自分の内面や身の回りの事象を整理するためのゆっくりとした時間を持つことも人生には必要です。

ひとつひとつを静かに見つめ、その奥を感じ取り、それぞれを結びつけて自分という物語に位置付けていく。

そういった時間を持つことで、物の見方を広げることができるのです。

また、このような時間を持つことで、内面からのエネルギーが充実してきます。


お酒やパンといった食品は、美味しくするために、かならず熟成させる時間をとります。

適度な湿度や温度を保って、食材を「ねかせる」時間です。

見守りながら、静かにねかせておくことが時にはとても大切なのです。

人は何もしていないように見える時ほど、物を考えているものです。

その時にこそ、人は自らを熟成させているのです。
[ 2014/09/18 21:34 ] 子どもと教育 | TB(0) | CM(0)

おきおつけて

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】

彼は、私の教室でただ1人、自ら電話をかけて入ってきた生徒でした。

中1の3月に、友達から私の教室のことを聞き、自分の携帯から、体験授業に来てもいいですか?という電話をかけてきたのです。

彼は、入ってきた当初、学年でほぼ最下位の成績でした。

学校には毎日通っていて、授業にもちゃんと参加しているのです。

その子が私の教室に来た理由は、ただひとつ「勉強ができるようになりたい」という一念でした。

幼少からの生活を聞いても、何の理由で学業が振るわなくなってしまったのかは未だにはっきり分かりません。

しかしながら、彼は他の中学生をはるかに凌駕するものを持っていました。

それは、すさまじい「情熱」と「大人力」でした。

当時私は、基本的に宿題は自分で決めて欲しい、と言うのをひとつの方針にしていました。

しかし彼は、宿題を出さないと寂しそうな顔をして、「宿題はないんですか?」と言うのです。

しかも試しに出した宿題はしっかりやってくるし、これもひとつの自主性の現れだなあと思って、それから彼に対してはかなりの量の宿題を出すようになりました。

だんだんとプリントが山のようになってきて、そろそろファイルを準備するように言おうかなと思っていた矢先、彼は誰に言われた訳でもなく、ホームセンターで大きなB4のファイルを買い、5教科分5ファイルに分けて、プリントにパンチで穴を空けファイリングしてきたのです。

しかも、それぞれのファイルに、自らエクセルで作成した課題チェック表を貼りつけて。

私は、ここまで整理力と実行力がある子が、なぜ学校の勉強ができないんだろうと不可解に思いました。

それだけでなく、彼は、私にもご両親にも言われたわけでもないのに、毎回、定期テストの範囲や、部活動の日程表をコピーして、重要日程を蛍光ペンでマークして、提出してくれるのです。

元気のない友達には自ら声を掛け、部活動では、先輩と同学年との間で連絡役として上手く立ち回り、出かけ先でお世話になった先生を見かけたら、自らさっと挨拶に行く子です。

もし社会人力を測る指標があるならば、偏差値70を超えるでしょう。

社会に出るならすぐにでも採用したい人材です。

しかしながら、学校の成績は振るわなかったのです。

彼は、英語に関してはローマ字の読み書きから始め、少しずつ少しずつ器を広げていきました。

彼は、連絡もまめで、自分が遅刻する時も必ずメールで「10分遅れます。すみません」と伝えてくるのですが、ある日、逆に私の方が、遠方に出張授業をしていて、アクシデントからどうしても教室の到着に遅れる時がありました。

とても申し訳ない思いで、その子に遅れる旨をメールしたところ、「了解しました!くれぐれもおきおつけて」という返信が返ってきました。

「おきおつけて」と間違うところが微笑ましかったのですが、間違いを指摘はせず、その子の温かさを有り難く受け取りました。

月日は流れ、彼は中学3年生になり、公立高受験の前日になりました。

最後の授業で私は、彼に各教科の作戦と心得を書いてもらったのですが、彼は「時間配分にきおつける」と書いていました。

私は「きおつける」の正しい書き方を教える時は今日だったか、と思い、「き」は空気、気持ち、やる気の「気」。「つける」は「付ける」。だから「気」を「付ける」。「お」は「を」になるんだよ、ということを教えました。

彼は「気を付ける」という言葉の仕組みを知らずに使っていたことが分かりました。

このような色々な言葉の仕組みを元々知っていたら、同じ努力でもっと成果があっただろうに…。

しかし、後になって私は思いました。

彼は由来や仕組みは知らなくても、「おきおつけて」をいつ、どんな場合に、どんな気持ちを添えて使えばよいか、誰よりも知っているんだと。

そのような言葉の本質は、決して授業で身につけられることではありません。

彼は人生の中で、「おきおつけて」の本質を体得していたのです。


彼は、その日教室を出る時、私にこう言ってくれました。

「短い間でしたが、英語を始めとして平均点以上取れるようになったのは本当に先生のおかげです。今までありがとうございました。」

彼は、教室に通い始めてからの2年間、一度も落ちることなく、成績を伸ばしてきました。

英語は、偏差値で言えば30も上がり、80点を取れる教科も出てきました。

本当に素晴らしい飛躍です。

また、地域の広報誌で中学3年生から小学6年生に贈る言葉に、自ら英語で書きたいと申し出たり、彼が合格して教室を卒業していく時、英語で謝辞をくれたりもしました。

学んだことを生かしたいという、彼の熱意と勇気にとても感動しました。

ある時、真剣な顔で語ってくれた「僕は小学校の時も頭が悪くて、中学校でもダメで、だから、がんばれば、成績の悪い人でも○○高校に行けるんだということを見せたいんです」という彼の炎のような情熱と、たぐいまれなる大人力が生かされることで、彼の学力の器は広がっていったのだと思います。

持って生まれた気質と才能を生かしていくことで、学ぶ力も生き生きと育まれていくのです。
[ 2014/09/10 17:09 ] 子どもと教育 | TB(0) | CM(0)

どうしても受けたかった授業

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」のまえがきより抜粋したものです】

2007年3月、私は京都で4年ほど勤めていた大手の進学塾の講師を辞め、再スタートをするつもりでいました。

その年、4年間一貫して算数と理科を受け持った生徒達が、私立中入試で難関~中堅校(鹿児島ではラ・サール~志學館に相当)に多数合格するという、大変素晴らしい結果を残してくれました。

規模としては小さいその校舎が開校して以来の、異例の出来事でした。

それは私を含めた講師の力だけではなく、生徒達の努力や、講師間で何度も何度もアイデア出しを繰り返したことの賜物であったと思います。

当時の私は、他の学年も大切にしながら、とりわけその学年を送り出すことに全霊を傾けていました。

そして、その子達を送り出した後は、力を使い果たしている自分に気づきました。

これから先も、大きな組織の柔軟性に乏しいシステムの中で、同じような成果を目指し、指導をしていくイメージが描けないでいました。

当時私は映像制作も並行してやっておりましたので、教育を主として続けるか、映像を主として続けるか、それから先の自分の人生に見通しがまったく立たない状態でした。

夜明け前の、世界が最も暗い時間を過ごしていました。そこに、私がその先の道を決める、決定的な出来事が起こりました。

一筋の光明でした。

もたらしてくれたのは教え子でした。

 
その日は私は、受験学年へと上がる小学5年生の理科の授業を行なうことになっていました。

理科の授業の中で、生徒達が一番興味津々となる、「ヒトの生命の誕生」がテーマでした。

毎年、恥ずかしさと好奇心が入り混じった気持ちの中、生徒達の目が大きく見開かれる単元です。


当日、私は校長から次のような申し送りを受けていました。

「普段は習い事の都合で、理科を受講していない生徒が、今日はたまたま習い事がないため、是非理科の授業を受けたいという申し出がありました。しかし、その分の授業料を頂いておらず、他の生徒と不公平になるため、受講は許可できないとの旨を、その子にも保護者にもお伝えしてあります」と。

その子は、それまで理科の授業を受けていませんでしたが、テキストを読んで、自学自習していました。

私は、その子のために、休み時間など時間を見つけては、質問に答えたり、各単元のエッセンスなどをできる限り伝えていました。

せっかくの機会でしたが、校長からの指示に従い、少し残念な気持ちを抱えたまま、私は授業に向かいました。

一時間目の授業は、予想通り大変に盛り上がりました。

顔を赤らめ伏し目がちに黒板を凝視する子、普段と違って妙に神妙な顔をしている子、お茶らけることで恥ずかしさを克服しようとする子、態度は実に様々です。

しかし、どの子の身体からも、本能的な好奇心が力強く発せられ、それが津波のように私の所に向かってくるのです。

一時間目の授業が終わろうとする頃、私はふと、教室のドアが少しだけ開いていることに気づきました。

その暗いすき間をよく見てみると、ふたつの目がじっとこちらを見ています。

私は直感し、ドアを開けに行きました。

すると、理科の授業を受けたいと申し出ていた子が、地べたに座り込んで、テキストとノートを広げ、じっと授業を覗き込んでいるではありませんか。

私の内に込み上げてくるものがありました。

小学5年生が、ここまでして何かを学びたいと思うものなのでしょうか。

独りで息を潜めながら、私の授業を聞いていたであろうその子を思うと、感動と申し訳なさが胸に溢れてきました。

私は何も言わずに、その子を教室に入れ、独断でしたが、一時間目の授業の残りと、二時間目を受けてもらいました。


授業後、私はその子と二人で話をしました。

その子は、私が辞めるということを密かに知っていて、そのことも、何としても授業を受けたいという気持ちの後押しになったようでした。

対話の中で、その子の目から涙がこぼれ落ちた時、私は、人が何かを学びたいと思う心の尊さに打ちのめされた気持ちになりました。

「普段は眠っていることも多いが、人間の魂の底には、学びへの強い渇望があるのだ。私は子ども達の『学びたい』という魂にただ応えたい」

そのような思いとエネルギーが、私の内に湧き上がってきました。

そして、その子との出来事を反芻するうちに、他の子ども達からも、寄せ書きなどで多くの感謝と激励の言葉を頂くうちに、私の次の道が固まっていきました。

「私は、もっと自由に私自身の教育観を深め、実践したい。そして、それを多くの人に伝えていきたい」と決意したのです。
[ 2014/09/09 23:03 ] 子どもと教育 | TB(0) | CM(0)

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