英気に溢れる -Be filled with brilliance-

鹿児島で学習支援業を行なっているBRILLIANTが、子どもと教育、心と身体に関するエッセイ、日々の雑想をお届けします。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

授業とは、相手の魂に挨拶をすること

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】


生徒が「こんにちは」と言って教室に入ってきます。

私も「こんにちは」と言います。

生徒が「ありがとうございました。さようなら」と言って帰っていきます。

私も「ありがとうございました。さようなら」と言って見送ります。

生徒が「こんにちは」と入ってきて、「さようなら」と帰っていく。

日々の授業は、出会いと別れの繰り返しです。


生徒が教室の扉を開く前に、私は、その子の魂が今日どんな色であるのか、どんな輝きであるのか、静かに思う時間をとることがあります。

私と会っていない間に、生徒たちはきっとたくさんの体験をし、内面を変化させていることでしょう。

楽しいこともあったろうし、辛いこともあったかもしれません。

それらすべてを栄養にして、心身と魂は成長していきます。

その子の世界は、ゆるやかに続きながら、昨日とは全く違うものであるかもしれません。

ですから、その子と初めて会った時と同じように、「どんな気質を、どんな才能を持ってるのかな。今、どんな魂の色と光を放っているのかな。今日が良い授業になるといいな」などと想像しながら、その子の到着を待つのです。


教室に入って来た生徒と挨拶を交わす時、一番に思うことは「今日もよく来てくれたなあ」ということです。

この仕事を始めて以来、生徒たちが、何らかの事情から突然教室に通えなくなることを経験する度に、学ぶ意志を持った人と人がひとつの場所に集うということが、いかに奇跡的であるかを痛感してきたからです。

挨拶を交わす時、その子が、私の知りえない人生の物語の中で磨いてきた魂の色と輝きを、今日、この教室に運んできてくれたことに対する感謝と、「今日の授業が、その子の魂を輝かせる触媒となりますように」という祈りのようなものが込み上がってくるのです。

授業というのは、ひとつの知的冒険の中へ参加者全員が没入していく時に生き生きとしたものになります。

ですから、その最中は、師も生徒も、その世界へ没入した意識のまま、我に返らないほうが良いのです。

我に返るということは、その冒険からの一時的な離脱を意味します。

我に返るのは、授業が終わり、生徒たちが家に帰っていく姿を見送る時です。


「ありがとうございました。さようなら」と言って、消えていく生徒の後ろ姿を見送る時、今日の授業がどんなものであったか、その感慨が少しずつ身の内に染み渡ってきます。

良い授業だったと胸を張れる時もあれば、そう言い切れないもどかしさを抱える時もあります。

教育の答えは、その瞬間に出ることは少なく、永い時間を要したり、大きな回り道をしたりすることで現れて来るものだからです。

ひとつの尊い魂が家へと帰る姿を見送る時、再び祈りのようなものが身の内に蘇ってきます。


今日の授業が、その子の魂を輝かせる触媒となりますように。
スポンサーサイト
[ 2014/11/04 11:46 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(0)

調弦をする

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】

私は京都市左京区で大学生活を送りました。

久しぶりに京都を旅する機会があったのですが、その時私は、銀閣寺や、哲学者西田幾太郎が思索を深めたとされる「哲学の道」の近くにある、とある喫茶店へと足を運びました。

ツタの絡まる白い外壁が印象的な二階建ての大きな洋風建築で、大きな窓が幾つも採られ、室内の姿は外光だけで浮かび上がります。

クラシックの調べが幾万回も染み込んだ濃い飴色のフロアや調度品。

私は長年使い込んで皮が薄くなった手帳のような黒いソファに座り、深炒りのコーヒーを口に運びました。


コーヒーの苦味と香気が鼻腔へと抜け去るとき、ふと、私の中に一陣の「知」の風が吹き込んだように感じられました。

それと共に、私の中から、温泉につかったときに漏れ出る「あーっ…」という嘆息のようなものが湧いてきました。

私がかつて憧憬していた、京都という土地が持つ「知」の匂いが、私の深い部分を呼び覚ますような感覚がありました。


「故郷に戻ってからは久しく忘れていたけど、私は自ら学び発見したことを、ひとつの『観』に組み上げていくことが好きだったなあ、これからはそれを推し進めて行きたいなあ」という自分の深いところにある思いに気づかされたのです。


「英気を養う」という言葉の意味が、その時体感を持って理解できたような気がしました。

適切な音程を鳴らすため、ギターの弦の張りが調整されるように、自分という弦が一度ゆるみ、再び張られ、適切な状態へと調弦されていくようなものなのでしょう。


気の赴くままに、自分の好きな場所で、自分の好きなことをじっくりと味わう時、心身の深い部分が癒され、自分にとって大切な気づきがもたらされることがあります。

私の場合は、歴史を感じさせる喫茶店での一杯のコーヒーや、木々や星、滝や山といった自然の揺らぎを眺められる温泉につかること、また、直感を頼りに進むひとり旅などがこれに当たります。

どうやら、心身がリラックスするのと同時に、外界からの新鮮な刺激がもたらされる時、内面で大きな化学変化が起こるようです。

リラックスをすることで、普段はなかなか気づけない身の回りの事象がささやくメッセージに敏感になるのでしょう。

そこから道標となるような気づきを得ることがあるのです。


英気を養う時間、調弦をする時間をとれた後は、物事を捉える視点が定まり、勉強や仕事においても、人との関わりにおいても、自分らしい良い働きができるようになるようです。

自分という楽器に今張ってある弦を、元の音程や響きへと調整することに、気合は要りません。

音色に耳を澄ませながら、ゆるませ、張ることだけです。

調弦することによって、楽器は本来の機能を果たし、美しい旋律を奏でるのです。
[ 2014/10/27 18:45 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(0)

龍の棲む森

昨日はたまたま授業に空きが出たので、心身のリフレッシュも兼ねて、とある神社に行ってきました。

私もつい最近知ったのですが、南薩、吹上の町に、大汝牟遅(おおなむち)神社という知る人ぞ知る社があります。

ご存知でしょうか?



境内には、巨大な楠が祀られていて、幹をさすりながら願い事をすると、願いが叶い、心身も元気になるのだとか。

優しさに満ちている樹で、とても心が落ち着きました。


また、その神社のすぐ近くには、「千本楠」という謎の森がありました。



森の中に入ってみると、そこは異世界でした。



巨大な楠が何本も、地を這うように生えていて、そのひとつひとつが巨大な生き物のように見えるのです。

天狗のように見える楠もありましたし、龍の頭のように見える楠もありました。

ここには、神々がいる、と肌で感じました。



それらは巨大なオブジェのようでもあり、誰かが意図を持って作り出したとしか思えないような空間でした。

京都、竜安寺の石庭のように、巨大な楠の龍達がひとつの宇宙を現しているかのようにも思えました。

自然が作り出したアートだとしてもすごいし、仮に大昔の人が意図的に作り出したアートだとしてもすごい。

また、違う季節の、違う時間帯に行ってみたら、違う表情、違う宇宙を見せてくれるような気がしました。


自然が生み出すアートは、人を無にしてくれます。

そして、頭では分からない感動を与えてくれます。

海も山も空も星も森も。

考えること、知識を蓄えることに価値が置かれる現代ですが、(私もそれらに重きを置く仕事をしていますが…)

だからこそ、時には自然が生み出すアートの中に身を投げ込んで、頭を空っぽにする時間が大切ではないかなと思うのです。

詰め込むことと同じか、それ以上に、空っぽにすることが大事。

龍の棲む森を後にして、改めてそう思いました。

[ 2014/10/19 21:31 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(0)

分身たちへの感謝

ブリリアンスのリニューアルに合わせて、封筒と名刺も新しく作ることにしましました。

そこで、デザイナーさんから勧められた「世界の名刺コレクション」という本を市立図書館から借りてきました。

日本だけでなく世界中に名刺の文化ってあるんですねえ。

素敵な名刺には、数センチ四方の小さな紙の中に、作った方の人柄や思いが、しっかりと現れています。


世界の名刺の本を読みながら、自分の新しい名刺に思いを馳せていると、ふと、今、私は様々な「自分の分身」を作っていることに気づきました。

新しいサイトも、映像授業も、封筒も、名刺も、すべて私の代わりとなって、たくさんの人に私の思いと考えを届けてくれる「分身」たちです。

自分が他の仕事をしている時でも、寝ている時でも、分身たちは、どこかでひそかにしっかりと働いてくれています。

なんて有難いことでしょう。

昔読んだ絵本の「こびとの靴屋」みたいです。(靴屋さんが寝ている間に、こびと達が靴を作ってくれるお話)

私はこれまで自分一人で教室をやっていることを、時々寂しく孤独に思ってきました。

もちろん、家族を含め、たくさんの人に支えられ、助けてもらって、今日の仕事ができていることをとても有難く思っています。

ただ、これからは支えて下さる方達だけでなく、自分の分身達が、さらにたくさんの仕事を一緒にしてくれるんだなと思うと、とても心強い気持ちになれたのです。

これから生まれようとしている分身たちには、できる限りの知恵を尽くし、心からの愛と感謝を贈りたいと思っています。

前もっての、大きな「ありがとう」を。


[ 2014/10/13 21:11 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(0)

宇宙たこやき

台風19号が接近中ということで、今日はやむなく休校にしました(^^;;

それで、ちょっと時間ができたので、天文館にある「宇宙情報館」というところに行ってきました。

以前はなんか怪しいところだなあと思って敬遠していたのですが(笑)、色々な方から噂を聞いて、一度行ってみたいと思うようになりました。

細い階段を上がると、そこには科学館の一室のような展示場が!

全然怪しくなかった(笑)

ロケット基地鹿児島ならではの展示物や写真があって、宇宙に詳しいお姉さんが親切に解説して下さいました。

お姉さんから、種子島から打ち上げられている、国際宇宙ステーションに物資を送るロケット「こうのとり」の話を詳しく聞きました。

すごいなあと思ったのは、物資を送った後に、宇宙ステーションで出たゴミも回収し、大気圏に再突入させることで、コンテナごと燃やし尽くしてしまうということ!

何と壮大なゴミ処分の仕方でしょう!

それから、宇宙情報館には売店もあって、たくさんの宇宙食が売られていました。

台風に備えた非常食として、私もひとつ買ってみました(笑)

買ったのは、宇宙たこやき!



見た目はまさにたこやき!



早速食べてみると、サクサクとしたスナック菓子みたい。

風味はまさにたこやきです!

しかし、ソースがかかってないので、味気ない…(笑)

うーん。やっぱり本物がいいけど、宇宙にずっといたら、日本の風味も恋しくなるだろうし、きっとこういう製品は有難いんでしょうね。

ちなみに、鹿児島特産のうなぎの宇宙食も開発しているらしく、現在宇宙ステーションに持ち込めるように許可を申請しているんだそうです。

今度は、宇宙うなぎを食べてみようかな。なんか怪物みたいですね(笑)

[ 2014/10/12 22:56 ] 日々のエッセイ | TB(0) | CM(0)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。